「経済」に片思いなビジネスマンの雑記帳

「経済」というキーワードに興味があるビジネスマンの日々のつぶやき

分析力がない人が「判断」して大丈夫か。

あの方が言う。

 ・人流は減っている。

 ・感染者数も減ってきている。

 ・今週中には判断する。

 

こんな分析しかできない人が「判断」してよいのだろうか。

 ・観光地によっては、効果が見込めるほど人出が減っているとは言えない

  ようにも思える。

 ・感染者数が減っているのは、どうみても休日モードだからとしか思えな

  い。

 ・今週中に判断すると言うが、どのようなデータに基づいて判断するのだ

  ろうか。明日、明後日に、何か新しいデータは出てこないと思う。感染

  者数でさえも、明日、明後日、土曜日ぐらいまでは検査をする人が多く

  ないので、それほど増えないと思われ実態を表したデータとは言えない

  と思う。

 

 このような分析しかできない人は、エビデンスと言っても、自分に都合の

よいエビデンスしか目に入らない。

明日からの株の値動きは如何に

連休明けの株式市場はどのようになるのだろう。

 

★コロナの感染状況は、悲観的なものしか思い浮かばない。悲観的という

 よりも悲惨なものになるとも思われるが、この影響は如何に。

★企業業績の発表も多いと思うが、これも明暗がはっきりと分かれてしま

 いそう。

★大幅赤字も多いと思うが、大幅黒字の企業も意外と多そう。それに、来

 期以降の業績見通しをどのように出してくるのかも気になる。

★企業業績と株価は連動するのだろうか。

★「買い」の業種はあるのだろうか。

★コロナ後も視野に入りだした海外の経済状況の影響はあるのかにも気に

 なる。

★海外の投資家は日本の市場をどのように感じているのだろうか。

★今のところ日本は無視? 日本は底と思い「買い」?

 

最後の言葉

 下手な考え、休むに似たり

オリンピック医師・看護師募集の話題 私の心配は世間とずれてる?

 昨日、テレビのワイドショーをみていたら、オリンピックでの医師・看護師

の募集の話をやっていた。

 この話題の扱い方、コメンテーターの話を聞いていて思ったのが、私が今感

じている心配についてはほとんど扱われていないこと。私の思考は世間とずれ

ているのだろうか。

 

 テレビでの内容

  ・医師・看護師を無報酬で従事させるのは失礼だ

  ・組織委員会側の募集の仕方が、上から目線だ

  ・医師・看護師には、ワクチン接種してもらうべきだ

  ・医療行為により万が一のことがあった場合に、医師が責任を負わないよ

   うにすべきだ

 

私の心配

  ・この時期に募集に応募する医師・看護師はいるのだろうか、余裕はある

   だろうか

  ・申し込む医師・看護師は、どのような考えで申し込むのだろうか

 私としては、今は、コロナ対応で医師・看護師が不足していて、また、コロ

ナ対応のためにコロナ以外の医療も制約を受けていて全体的に医師・看護師が

不足とまではいかないまでもギリギリの状態だと思っている。また、これから

本格化するワクチン接種にも医師・看護師が必要になる。

 すると、応募する医師・看護師はいないことになるはず、ということになる。

また、そのような状況の中でも応募する医師・看護師の方たちは、何故応募す

るのかと思ってしまう。

 昨日のテレビでは、このことについて扱われてなかった。私の心配は世間と

ずれているようだ。

コロナ対応での理論的な分析、に意味はない

 コロナ対応で行政がやっていることについて、有識者とされている人たちを

中心にいろいろ言っている。

 ・お願いベースではだめで法的な規制が必要

 ・飛沫感染の可能性がほとんどない文化分野への要請はナンセンス

 ・転用可能な病床はあるはずなので、転用をすすめるべき

 ・コロナ感染を阻止できても、経済が沈むと、コロナによる死者は減るが、

  経済苦による自殺者が増えてしまう。

 ・電車を間引くと、逆に密になる。

などなど。

 そして、これらが言われるときには、理論的な根拠を言ってもらえれば、

データに基づく後ろ盾が必要、全てを包括的に規制するのではなくきめ細か

に規制する必要がある、などとも言われる。

 しかし、コロナ対応では、これらのことは当てはまらないと感じている。

 

1.コロナ対策だけでなく全ての分野で、そもそも、理論的な、エビデンス

 に基づく、物事を細分化した分析というもの自体が間違っている。

  少し前にはやった経済行動学でも言われたように、私たちは、基本的に

 合理的な行動はしていない。合理的な行動をしていないものを、合理的に

 分析することに意味があるのだろか。

1.私たちは、何か一つの立場だけでいるのではない。

  多くの人は、会社にいるときは生産者であり、家に帰れば消費者になる。

 会社にいるときは指示を受ければ済む立場だが、家に帰れば自分が決めな

 ければいけない立場になることある。三世代家族ともなると、真ん中世代

 は、親であり子でもある。昨日までは全くの健常者だったが、今日は病人

 になっているかも知れない。親が高齢になると、急に介護する側になって

 しまう。大学生も卒業すると仕事を求める求職者になる。などなど

  人は、そのときそのときに、いろいろな立場にいるのに、これを細分化

 して分析することに意味があるのだろうか。

  

東京のコロナ感染者数は、実数なのか?

毎日、全国ニュースで、東京のコロナ感染者数を言っている。

 地方に住む私は、この人数は実態を表していないのではないかと

思えてきている。

 ・発熱など感染が疑われる人でも、検査に行かなかったり、医療

  機関に行っていない

 ・民間検査で陽性が判明しても、医療機関には行かずに、自己判

  断で自宅で症状が治まるまでやりすごす

人が相当程度いるのではないだろうか。

 

 東京の若者からすると

  ・若者は、ほとんどの場合症状が軽く済む

  ・自分は一人暮らしであり、濃厚接触者がいたとしても同世代

   が多く、その相手も一人暮らしなので、重症になる人に感染

   を広めることは考えられない

 と考えていて、検査や医療機関に行っていない人が多いのではな

いだろうか。

 もし、この邪推通りであるとすると、東京での感染の広がりは、

もうすでにとんでもないものになっているのかも知れません。

「コロナ後」という社会はないのかも知れない

 最近、コロナにかんする規制を緩和をしはじめた国のニュースをみ

ることが増えてきた。

 これらの国の様子をみると、その内容はマスクのことや、人が集ま

ることに関する規制が緩和され元の生活に戻りつつある、というもの

が多い。

 話は今まであった規制に関することなので、緩和すると言えば、こ

れらのことは当然といえば当然だが、ただ「元」に戻りつつあるとい

うことに過ぎない。

 日本でコロナ真っ盛りのときには、元に戻ることはないと言われて

いたような記憶があるが、現時点の今になると、コロナ後の社会は

「元」に戻るように思える。

 もしかすると「コロナ後」という新しい社会はないのかも知れませ

ん。

 これは、

  ・新しいものができなかったからからなのか

  ・新しいものができつつあったが、私たちが新しいものに魅力を

   感じなかったからなのか

  ・新しいものができつつあったが、私たちが新しいものを使いこ

   なせなかったからなのか

  ・新しいものの力が弱かったからなのか

  ・既得のものが、新しいものをよってたかって潰しにかかったか

   らなのか

  ・新しいものはできたが、インパクトが微々たるものだったから

   なのか 

「全力」、「しっかり」、「懸命」、「決断」の辞書での意味が軽くなる

 コロナでのあの二人の言動を聞いていると、「全力」、「しっかり」、

「懸命」などのニュアンスが軽くなったなと感じる。

 コロナが広がらないように、ワクチン接種が進むように、経済が落ち

込まなないように、オリンピックが開催できるように、「全力で」、

「しっかりと」、「懸命に」、「決断する」などと言っている。

 しかし、それらは、どれも具体性はなく、タイミングも今になって感

があり、せいぜいで他の人に、できそうもない指示や、それをすること

により別の問題が生じるような指示を出すだけ。

 あと数年すると、辞書に書いてある「全力」、「しっかり」、「懸命」、

「決断」の項目に、「実際には、本来の意味のようには振る舞うつもり

はないが、対外的なポーズとして使うことが多い」と書くようにした方

がよいのではないだろうか。